江青日誌

夢は野山を駆け巡る

デブサミ2012御礼







Developers Summit2012(通称:デブサミ)に来場頂いた皆様、お話ししてくださった方々、スポンサードしてくださった方々、オフィシャルコミュニティの皆様、ありがとうございました。まずは事故なく無事に終わってほっとしています。至らぬこと、行き届かなかったことも多々あったかと思います。この場を借りてお詫びいたします。
事故なく今回が終わったということは、10回事故なく終わったということです。正直、10年こんな形でやれるとは思っておりませんでした。当初「10年続ける」というカラ手形しか差し出すものがありませんでした。もし、景気が悪くなり、どこもスポンサーが付かなくなった場合は、弊社の会議室などで最悪開催するつもりの「10回やります」でした。
原風景として、2000年前後にSIerの経営者インタビューに行く企画を担当しました。使ったことがないテクノロジーを延々と非難して悦に浸っている人達を何人も見ました。「エンジニア」が使っていないテクノロジーを否定するとは何事か!プロフェッショナルではない!この会社の部下たちはきっと、テクノロジーの潮流を味わうことができないのではないだろうか?と思ったことをまざまざと覚えています。*1
とにかく、そんなちっちゃい自分の世界で悦に浸っているおじさんたちを相手にするのではなく、未来を作ろうとしている人たちを一同に介す祭を、コミュニティの皆さんと共に作ることことで、「デベロッパーが世の中を変えるエンジンになれるのではないか?」「ベンダのエライ人がしゃべるのではなく、コミュニティの中にこそ開発の現場の本音のがあるのでは?」「その人しか言えない言葉を喋ってもらう」ことを心に刻み、節操無くとにかく力があるものを取り上げて「テクノロジーのデパ地下を作る」ことを、コンテンツ委員の皆さんと共に心がけて構成してきた10年だった気がします。
10周年ということで、一度一緒にお仕事してみたかったPublickeyの新野さんに無茶ぶり上等でパーティの司会をお願いしたところ快諾いただきました。尊敬している新野さんにこんな形で関わっていただいけたのも、とっても嬉しかったですし、コラボパーティではマイクロソフトの伊藤かつらさんはじめ、たくさんの懐かしい顔や、新しい方々にお会いできてとても嬉しかったです。
また、10周年ということで、DevLOVEのみなさんが呼びかけてつくって頂いたビデオメッセージや、スポンサーや受講者の方からお祝いやおみやげのお菓子を頂いたり、マイクロソフトさんからお祝いのお花を頂戴したり、さらに、漆原さんからは有志を代表して賞状と花束をいただきました。これだけでも、正直びっくり!心臓に悪いのに、スタッフの終礼で、受講者の方々から寄せられた10周年のメッセージと共に会社と運営会社の方々から花束とキティちゃんのぬいぐるみまで頂きました!過分なプレゼントを頂戴し、ホント恐縮です!
でも、クソ根性だけだった私に、知恵をつけてくれたのは、会社や運営会社の仲間であり、コンテンツ委員の皆さんであり、励ましてくださった方々です。本当に心から御礼を言いたいと思います。ありがとうございました。また、そもそも、デブサミも100人本もやろうといったのは私ではなく、ひらめいた人たちは別にいて、その人達がいなかったらデブサミも100人本もないということもあわせて言っておきたいと思います。
10年やってみて、震災もあり、思うことあり、デブサミは別の方にお願いし、自分なりの新しいミッションを再度架して生きていこうと思っておりましたが、10周年コラボパーティで、弊社社長から「岩切はデブサミを引退させない」と宣言がありましたので、当分はのれんを降ろさずやっていくことになりました。今はまだノープランですが「世界を変えるのは、政治家とデザイナーとデベロッパーだけだ!」の旗頭の元、リニューアルしながら、デブサミやっていくことになると思います。
是非また皆さんの力を借りながら作れればと思いますので、どうぞよろしくお願いします!とにかく、10年間ありがとうございました!

*1:ちなみに、インタビューした大手SIerはすべて合併されて元の名前はなくなってしまいました。少しザマーミロな気分です

これからの10年何をテーマに生きていくか、10thコラボパーティで話しました


デブサミ10周年コラボパーティを、マイクロソフトさんにスポンサード頂き開催させて頂きました。実は、.netも10周年だったというご縁があり。本当にありがたい事です。簡単に翔泳社から挨拶をと言われて、デブサミ10回振り返ったあいさつをするつもりだった(つまり、スピーカー登壇者数とか、スポンサーの変遷とか)のですが、1日目の基調講演でお願いした及川さんが「過去を振り返った講演は意味が無い」的なことをお話されていたので、急遽やめて未来の話をしました。
「未来」というと、日本は高齢化と少子化が進み、2050年に今の人口1億1000万人から8000万人に減ることが予想されています。*1年金・医療・交通・教育など社会インフラが整備されたままこの国が体をなしているのか、今のままだと想像もつきません。そこで、岩手県釜石市(私の生まれた街)ですが、1963年に人口が最高で、それから2011年に半分まで減りました。新日鉄の大リストラがあったため、関連企業含めて出ていったことに端を発しています。1070年代、私が子供の頃の釜石は、校内暴力や放火などで全国紙にも載るような町でした。
この釜石の急速な街の変化が、日本のこれからの問題を先取りしているということで、東京大学社会学研究所の希望プロジェクトの方々が、2006年1月より調査を始めました。

人はどのようにして希望を持ち、そして失うのか。希望は社会とどのような関わりを持つのか。希望学は、社会のなかでの希望の意味とありかについて、一人ひとりが探求するための科学的プロジェクトです。私たちは社会科学者として、事実の積み重ねを通じて、希望について考えていきます。
東京大学社会科学研究所
希望学プロジェクトチーム

結果「釜石には希望がある。ただし、釜石の希望は点在していてつながっていない」とのこと。
希望を「点」⇒「線」⇒「面」これが、個人から社会へ希望が転換していく過程になります。
それでは、日本全体で考えてみたときに、どうかということなんですが、私は「希望を持ちエコでスマートな社会をITで生み出すこと」をこれからの10年考え行動してみたいと思っています。希望がなければ失望も出来ません。失望を乗り越えた希望こそが本物だと希望学のHPにも書いてありました。エコでスマートな社会はITが必須です。福島原発事故のあの騒ぎを見ると、本当に日本のテクノロジストと行政のうまくいっていなさにがっかりするばかりでしたが、がっかりばかりもしていられません。日本で生きていく子どものためにも、これからの10年私はこれを自分のテーマにして、生活者として生きていきたいと思いますし、デベロッパーの皆さんには、生活者として開発者として、一緒に考えていけたらと思っています。