江青日誌

夢は野山を駆け巡る

大切なことはみんなお葬式から教わった

大切なことは、お葬式から教わった気がしてます。結婚式と違い、お葬式は、ある日突然準備なしで本番を迎えます。たとえば私の祖母は、10年寝たきりの後、正月休み明けの5日に亡くなり、四日後のお葬式には500人に参列していただきました。
亡くなったその瞬間から、運営は、事務方(葬儀委員会系、男子担当)と、台所系(文字通り、女子担当)に分かれ、もくもくと誰が命令するでもなく、仕事をこなしていました。事務方は、連絡網を駆使して呼びかけ、序列化し、香典やお備えの管理をしつつ、住所録や見えない序列の更新をしつつ、挨拶する人や香典で取り上げる人を決めてました。もちろん、故人や親族の関係性を反映して、葬儀屋さんやお寺とスケジュールや予算を詰め、それなり落としどころを当然探っていました。
また、田舎だと、お通夜はもちろんお葬式以外は全て自宅で行うので、その間の食事を作り続け、食器を洗い続けなければなりませんでした。仕出しなんてとらないのです。期間中、30〜50人前のご飯を作り、洗っていました。それに、近所のおばさんや親戚一同であたります。自ずと、料理長的な人と作り系手下とお運びさんと分かれていきました。
その上、私のおばあちゃんが亡くなったときは、親戚などがお葬式が終わるまで10人以上我が家に泊まっていました。弔問のお客様がお帰りになり、身内だけになると、死者を偲びながら、一升瓶を囲んで、おじさんたちが一族の歴史や死者について語りだします。その中で、ルーツを学び、先人の知恵や、お酒を含めた大人の世界を学んだように思います。
私が自殺しようとか、人を殺すほどの憎しみを持ったことがない理由の中に、この語り部達との合宿生活があると思っています。また、結婚式よりも何よりも、その人にとって人生の総括である大事な儀式はお葬式であることと、それに望む心得も、その時教わったと思います。
不謹慎ですが、結果お葬式は、絵巻物のように厳かで美しかった。特に雪が降った日のお葬式は、町中が悲しんでいるような雰囲気をかもちだしてました。
田舎のお葬式だからかもしれませんが、徹底的に一人の人を葬るために、一人ひとりがやれることをやりきっていました。途中、やはり、騒動も起こります。身内だからこそ、結構どろどろだったりします。それも含め、社会人になってこの時の経験が役にたっているなとすごく思います。

●余談
私は墓守として育てられたので、そうやって守っていきたいものがあることはたたき込まれていますし、先人には、彼らが望む葬り方をできるだけ実現してあげたいと思います。でも、自分がそうしてほしいかというと、矛盾してますが、今は否と答えるでしょう。家とか墓とか関係なく、土や海に帰り、肥料になりたいと単純に思います。その辺、ちょっと微妙な気持ちがないわけではありません