江青日誌

夢は野山を駆け巡る

感謝を杖に

昨日、プレスリリースが会社から流れました。立場が変わることになりました。
正直、平々凡々と60歳の定年退職を迎えたいものだと思いながら日々働いてきました。ただただ、目の前の問題を解決しよう、お客様に役に立とうと思って働いてきただけで、偉くなりたいとか役員になろうという気持ちは、私の今までの人生であったかというと無かったと思います。そんなわけで、内示が出たときから心中複雑な思いでした。器ではないという思いがありました。
それでも会社を辞めず引き受けた理由は、この会社がはやりとても好きだからということに尽きると思います。26歳でこの会社に入りました。新規事業の立ち上げスタッフの一人で、雑誌の広告についてわかっている人は私一人という状況でした。鼻っ柱も強かったので、2年間で8人上司が変わり、フロア移動も15回ぐらいありました。バイト一人で回してもらうために、原稿管理と請求書のシステムを作り、一人企画書を作り請求書を発行し、見本誌を送る日々でした。営業が終わってから、事務仕事をこなさなければならなかったので、徹夜も良くありました。
それでも毎日が楽しかった。会社の仲間が作った本が世の中に役に立ち、私や私の部隊はお金をお客様から頂いた上に感謝の言葉を頂き、会社の仲間がまたそれで本を作るというサイクルの中に居るということが、ただただうれしく幸せでした。時代の変化の中、本だけではなく、イベントや、Webコンテンツ、CD-ROM教材、めるまがなどなど、メディアを変えて世の中にpublishしていくことになりました。それもそれで、面白い発見がそれぞれにありました。部下も出来、事業も大きくなり、お客様との取引が増えていき、お客様から頼りにされていくことに、やりがいを感じて働いてきました。
私はこの会社が3社目なのですが、以前勤めていた会社は女性差別があったり同族企業だったりしたため、不可解な決定に曝されることがままありました。この会社は、会社という資本を使って、やりたい人が事業を立ち上げるという方針の下回っている会社なので、女性であることでの差別を会社から感じたことはありません。また、今のグループ会社の社長は2代目ですが、銀行の取引先営業担当だった彼が弊社に入社し、課長から上っていった人です。人事的にも透明感のあるところで、世代交代をしています。基本的人権を保障されている中で働けるということが、入社当時とてもうれしかったことを今でも昨日のことのように覚えています。(同族企業のオペレーションが悪いと言うつもりもありません。たまたま当時私の勤めた会社はその良さよりもマイナス面の方が、末端社員まで強調されていたというだけの話だと思います)
当然、わざわざブログに書くことでもないですけれど、100%うちの会社が素敵な会社だというつもりもなく、いろいろな問題を抱えています。でも、問題が無い会社は無いと思うし、それに対して、どう立ち向かうの方が大切なことだと思います。入社したときの2つの感動「仲間が作ったコンテンツが世の中の役に立ってお金をいただける」ということと「会社が社員に対して基本的人権を尊重してオペレーションをしている」ということを私の杖として、もっと、世の中に役に立てるように、もっと、一緒に働く仲間の立場や思いをお互いに尊重できるような会社にしていけるようにやっていきたいと思います。