いろいろな方から、実家に対して心配頂いているメールを頂戴いたしました。少ない情報から推測するに、釜石の私の実家は、海から離れているため、それほど被害が大きくなさそうです。ただし、ライフラインが切断されているため、現状、父母や連絡が取れません。また、地震のときに父が釜石のどこにいたかがわからないため、不安に思っています。
釜石のことを思い出してメールを頂くのはうれしい反面、情報がない中で皆さんにお返事を書くのも精神的にしんどいものがありまして、申し訳ないですが、こちらに現状の安否を記し、更新していきたいと思います。
今連絡が取れてない親戚は、すべてPerson Finder (消息情報): 2011 日本地震に登録いたしました。
釜石をはじめ、宮古・大槌・陸前高田・山田・大船渡など、小さいころから行き来していた町が、今回の津波でまったく形を変えてしまいました。地震多発地帯なため、地震や津波に対して冷静に振舞えるように、小さいときから火災訓練と地震&津波訓練を義務つけていた地域でした。それなのに、無力にも自然の力に飲み込まれました。今は、交通規制が解除された段階で、釜石に帰って何かお手伝いできるように、待機だと思っています。
この状態では、復興には、本当に時間とお金がかかると思います。一時的な盛り上がりではない、末永いご支援をお願いできればと思います。