江青日誌

夢は野山を駆け巡る

実家の状況:3/13現在

いろいろな方から、実家に対して心配頂いているメールを頂戴いたしました。少ない情報から推測するに、釜石の私の実家は、海から離れているため、それほど被害が大きくなさそうです。ただし、ライフラインが切断されているため、現状、父母や連絡が取れません。また、地震のときに父が釜石のどこにいたかがわからないため、不安に思っています。
釜石のことを思い出してメールを頂くのはうれしい反面、情報がない中で皆さんにお返事を書くのも精神的にしんどいものがありまして、申し訳ないですが、こちらに現状の安否を記し、更新していきたいと思います。

  • 岩切潤[父]3/11 15:19にメールで無事を確認。その後連絡とれておりません。3/14 13:00母からメールがあり無事とのこと
  • 岩切久仁[母]3/11 15:15にメールにて無事を確認。その後連絡とれず。当時、隣の遠野市に仕事で滞在中。3/14 13:00母からメールがあり無事とのこと
  • 釜石の親戚:まだ連絡が取れず
  • 岩切晴子[妹]3/13 18:10 メールにて無事を確認。仙台在住。
  • 遠野の親戚:まだ連絡が取れず(遠野市内が電話が断線中?)
  • 宮古の親戚:3家族中2家族が盛岡に避難したと連絡あり。1家族がまだ連絡取れず1家族が宮古市内に避難していることがわかりました

今連絡が取れてない親戚は、すべてPerson Finder (消息情報): 2011 日本地震に登録いたしました。
釜石をはじめ、宮古・大槌・陸前高田・山田・大船渡など、小さいころから行き来していた町が、今回の津波でまったく形を変えてしまいました。地震多発地帯なため、地震津波に対して冷静に振舞えるように、小さいときから火災訓練と地震津波訓練を義務つけていた地域でした。それなのに、無力にも自然の力に飲み込まれました。今は、交通規制が解除された段階で、釜石に帰って何かお手伝いできるように、待機だと思っています。
この状態では、復興には、本当に時間とお金がかかると思います。一時的な盛り上がりではない、末永いご支援をお願いできればと思います。