江青日誌

夢は野山を駆け巡る

本日の実家の状況:3/16:父を見かけた方現れる!

本日、釜石の実家の隣家の藤原さんが、息子さん(同級生)に元気だという電話をくださった際に、「潤さんは風邪を引いていたけど元気そうだった」とお話ししてくださったそうです(w。いつもまめに連絡をくれる父ではなく、母から生存の連絡があったのはなんでだろうかと思っていたら、風邪っぴきだったということですね(www
また、仙台在住の妹より、釜石まで父母を迎えに行きたいとメールをもらいました。でも、いろいろ考えると、どうもあの二人は、好んで釜石にいる気がしてなりません。母は釜石よりもっと安全な隣の町の遠野で地震にあった後、釜石に戻っているのです。遠野は自分の実家がある町。でも、実家にもまだ顔すら出していないらしく、叔父もきっと、釜石の町を二人は奔走しているのだろうとのことでした(w。この状況でこの言葉を使うのは変だけど、便りが無いのが元気な印と思うしかありません(w。妹も様子をみるとのこと。
ニュースを総合すると、自衛隊の皆さんのお陰で、釜石港宮古港が本日開港、また、45号線も釜石〜陸前高田まで開通したとのことなので、近隣の地区まで物資を運ぶ道ができたことになります。今日、電気もついたらしいです!その一方で、釜石の避難所でインフルエンザの感染があったそうで、患者さんが隔離されているとのことでした。寒い場所なので、心配は心配です。
日本は災害はありますが、災害難民を餓死させたことがない国だとテレビの中の人が言ってました。この復興の加速度的な進み方を見て、ガソリンの買い占めさえおきなければ、そして、原発がうまいこといってくれれば、記録更新できそうだと思っています。この奇跡が今回も続きますように。
正直親族の名前を、本人に断りもなくネットにさらすのはどうかと思っていたのですが、私が存じあげない父や母の知人の方から、ネットで検索してここを訪ねてくださって、消息を知ったとメールやTwitterでご連絡を頂戴するようになり、思い切って公開してよかったと思いました。もちろん、落ち着いたら本名を削除したいと思いますが、まだ探していただいている方も多いようなので、しばらくこのままとしたいと思います。
今は、釜石に行っても食い扶持を減らすだけだと唱えながら、帰りたい気持ちと戦っています。とにかく、今は、東京で自分の今できることをやるだけだと思っております。とはいえ、変わり果てた釜石を見るのと、何やっているんだろうかと思ったりもします。でもきっと、帰ってくるなと父母は今は言うと思う。帰って来いと言われるまで、待機です。
最後に、毎日数通新しい方から、安否お問い合わせをを頂きます。ありがとうございます。なかなか、メールを頂いても、タイムリーに答えられないため「元気だ!」と伝える意味で、毎日少しづつでもここに書こうと思います。引き続き、どうぞよろしくお願いします。