江青日誌

夢は野山を駆け巡る

3/17の実家の状況:父母と電話で話せました!

昨日は、実家に電話が通じ、父と母、大槌町赤浜小学校に勤務していたいとこと、それぞれ電話がかかってきました。電話で話をしたら、ほっとして、日記を書かずに、寝てしまいました。旦那さんに言わせると、バタンキューだったそうです。毎日書くと書いておきながら、さっそくこれでスミマセン!
私の父は、岩手県の水産系の県職員でした。定年後、地元で水産系の会社の顧問などしています。そんなわけで、地震の時、何処にいるかが一番心配だったのですが、やはり、海の側にいて、間一髪で逃げたことがメールで分かりました。

本当に間一髪で助かりました。当日鵜住居の先の箱崎漁港にある
釜石東部漁港に会議があって行ってました。会議が終了した時地震
来ました。漁協の参事が岩切さん水門閉まるから早く逃げてと云うので
あわてて帰りましたが。根浜を過ぎたら、道路の両側の崖から石が
崩れ落ちて来てそこを縫って市内に入りましたが、車も混んで来たので
旧国道にのぼり難を逃れて更に旧大渡小学校の校庭で一夜を過ごしました。
昨夜電気が通り、今日電話とメールが通じました。
五の橋の東側は今日一部道路が通りました。マルワも流されました。
携帯はまだ駄目です。

いとこも「学校自体が避難所だから大丈夫だと思っていたけれど、海の向こうから来る津波を見てダメだと思って、「山に逃げろー」と叫んで皆で走って逃げた。間一髪だった」と話してくれました。山に逃げられたお陰で、生徒さん職員の方々、全員無事だったとのこと。判断が間違ったら、そして遅かったらと思うと・・・・。二つとも、話を聞いた方が、ぞっとするような話で、心臓がバクバクしました。
妹家族は、福岡県の義理の弟の家にしばらく寄せていただくことにしたそうです。乳飲み子を抱えて、今いる仙台で物資がないことと戦うよりも、私がいる東京に出てくることよりも、ベストの解だと思います。
昨日、NHKを見ていたら、品川区は宮古市と提携を結んでいて、宮古市の意向を聞き、支援物資を即刻集め、職員も必要なものを聞き取るためにトラックに乗って、宮古に出発したとのこと。めぐろのさんま祭は、宮古市が毎年無償でさんまを提供してました。その恩を果たすべく、めぐろのさんま祭を開催していた商店街の方と品川区が、物資をかき集めての出発「我々のできることは少ないかもしれないが、末永く地道に支援していくつもりだ」と商店街の方が言っていたのを見て、思わずテレビに向かって拍手をしてしまいました!
ジャニーズ事務所が無償貸出中の電源車と軽油2000リットルを積んだタンクローリーは、岩手県滝沢村に到着!ちゃんと聞き取れなかったのですが、何かのセンターがあるらしいです。
釜石のおしゃれな酒屋さんの丸木さんもNHKのニュースで拝見。地元の町の役員をなさっていて、避難所を回って励ましていらっしゃいました。「希望の光があるつもりで頑張ります」とのコメント。釜石シーウェイブスの帽子が素敵でした。
会社の人からも、復興に向けての会社で出来ることの提案を何個か頂きました。これが、ほんとうに嬉しかった。元気でたー!です。
暗い話もテレビからは流れてきますが、明るいニュースも流れ始めてます。それが、私の今の心の支えです。