2011が終わろうとしている12.31の夜22時、紅白を見ている途中に、火の車に年末の挨拶に行こうということになりました。家族全員でお邪魔したところ、火の車の提灯に火が灯っていました!今日から正式に店をオープンしたとのこと!
火の車は、あんべ光俊さんの「岩手に帰ったら」の曲の中で「釜石に帰ったら火の車のママと笑う」と歌われているぐらい釜石では名物女将の一人です。さすが名物女将だけあって、NHKさんが張り付いておりました(笑)
震災前から母と火の車のママ1号の宏子さんはスキー仲間で、そのご縁で、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいておりました。帰省してるのに関わらず、家族といざこざを起こし、実家に帰りたくない気分の時、同級生と飲む時などなど、そんな時は火の車にいました。釜石の花火大会の時は、お弁当をつくってもらったりしましたっけ。とにかく、震災前の火の車は、私にとって釜石の第2の実家でした。
今回の震災で、家も店もママ2号である妹のみわさんを亡くした宏子さん。毎日、母と安置所に一緒に通っていました。みわさんが見つかってからも、我が実家に避難所から通い、語らいながら、火の車の再開に向けて動いていらっしゃいましたが、ついにこの日が来ました!
ちなみに、Google Person Finderで家族・親戚以外で私が登録した人は、火の車のママ2人。それがご縁で、みさわんの息子さんやいとこの方ともインターネットを通じて繋がりました。誰とも連絡をとれず心細かった震災直後、励ましあいながら時間を共にし、遠くから故郷を思うじれったさを味わった仲間となりました。またこれもご縁といいましょうか、たまたまなんですが、震災後、はじめて釜石に私が帰った日にみわさんが見つかりました。
私からの開店祝いは、地元のものがいいなと思ったので、大槌の刺し子プロジェクトのコースターを30枚贈りました。火の車が再開して、釜石の希望の火が、また一つが点ったような気がしてほんとうに嬉しいです。父は、宏子さんに会う度に「復興は赤提灯から!火の車、再開がんばっぺし!」と言ってました。火の車で、みんなで笑い・涙し・怒り・語らいながら、釜石の復興の話が盛り上がることを願ってやみません。コースターがすり切れるぐらいに、お客さんが来ますように!