今日は、朝の五時にユースホステルの人達と御廟に出発
御廟につくまでの霊園内は、やはり気持ちが悪くなる
御大師さんの朝ご飯の瞬間に立ち会う
絵のように美しい
高野山の意味を考えながら歩いた
京都の東寺は、多分仕事の表玄関で、布教、朝廷からの仕事や、サロン的なお付き合いの場だったんだと思う
四国は、空海にとって修行の場だったと思う。青年期と厄年のあたりに、本格的に修行に入っている
御廟以外に弘法大師の気配というか意思を感じない。もしかして、死ぬ場所としてこの地を選んだのか
そんなことを考えながら一日を過ごしだ
Posted at 21:52