江青日誌

夢は野山を駆け巡る

ため息の理由

今を去ること10年〜5年ぐらい前、「DDJ日本版」に携わっていた頃は、うちの会社の経営が不安定で、2年間で8回引越しがあったり、会社が身売りするのでは、、、といった時期もありました。その代わり、ルールがあるようでなくって、大学のサークルみたいでした。
いろいろあったのでしょう、社長が変わり、局長も数人代わって、私自身はずっと同じ会社にいるのですが、今思うと、転職したような感じもあります。前のほうが気楽だったし、声が大きいと何でも通ったので、それこそ、私は江青女史のようにやりたい放題だった気もします。きっとあの時だったら、無理やり、自分がこれだと思った企画は本を作ってもらえるようにしたと思います。
どっちが良いかと言われたら、それは結構難しいです。だって、気楽だったけど、あの時出版局は、赤字だったので。売上も、今の経営者が打ち出した方針が良かったのか飛躍的に伸びました。4人組的時代から資本主義への変更です。
でも、私が、ひがさんの本を出したいと社内に強制発令することは出来なくなりました。それだけは、ちょっとさみしーい気持ちがしたので、昨日ついつい愚痴を書いてしまいました。ごめんなさーい。
#ひがさんがうちの会社から本を出したいと思ってくださるかどうかは、また別問題なんだけどさ