江青日誌

夢は野山を駆け巡る

50歳になる前に旅に出た〜2016年夏をふりかえって-釜石、瀬戸内

2016年の冬、私は50歳になる

正直、小さい時体の弱かった私が、50歳まで生きているとも、働いているとも思っていなかった。あまり歳の区切りで何かしようと思わないタイプなのだが、今回は、高校の同窓会の幹事をやった。50代になるとポツポツ人が死んでいく。人は平均寿命で死ぬわけではない。3.11を経た我が同級生たち。死が突然に周りに起こることを痛いほど知っている。元気なうちに、同級生に会いたかったのだ。
私が開催の主旨を説明し、一人ひとり小さなホワイトボードに同級生向けにメッセージを書いてもらった。「90歳まで生きる」「死ぬな」「足腰ちゃんと生きていこう」「釜石最高」などなど、飾り気のない前向きなメッセージが並んだ。仕事にかまけて準備が遅れてダメダメな仕切りの同窓会だったけど、生まれた時から同じ時をほぼ過ごしてきた人達が放つ、なんともいえない明るさに元気をもらった。そして、釜石が変わっていくさまをこれからも見守り続けたいと思った。

本来であれば、9の歳にインドに行っていたのだが、今年は思うことがあって行かないことにした。その代わり、その後、若い友人に誘われて、瀬戸内国際芸術祭に行った。今回は、豊島、犬島、小豆島、男木島、女木島を回った。芸術祭の感想はおいおい書くとして、その時感じたことは、私は、釜石を出てからずっと旅をしているような気持ちで生きている。もちろん、東京に家があるが、出稼ぎ労働者である意識が強く、仕事を終えたら東京ではない何処かで暮らすことをいつも考えてた。でも、心の何処かで、釜石や東京ではない場所が気に入り移り住んだとしても、そこが安住の地になるかというとそうならないように思っていた。男木島を訪れて歩いている時に「安住の地をさがすのではなく、旅のままでいい」と啓示が降りてきた。つまりは、根無し草でいいのだ。そう思ったらとても心が軽くなった。

39歳のインド旅行で「過不足なく自分を社会の中で使いきって死にたい」と思った。それにプラスして「旅のまま死ぬ」という啓示。実際問題そうするかは置いておいて、今回の旅で、私はますます生きているのが、歳を取るのが楽しみになった。何時の世も「旅は道連れ 世は情け」である。そして、2016年の夏、私の旅はまだまだ続くのだ。