江青日誌

夢は野山を駆け巡る

津波との戦いに勝つ日が来ることを願う

私の曾祖母は、明治の三陸津波で彼女1人だけ生き残りました。当時14歳でした。釜石の石応寺には、その時無縁仏になった方々を祀っている仏像があります。
その後、昭和の三陸津波、連合国軍艦隊が岩手県釜石市に行った2度の艦砲射撃、チリ地震津波と、そのたびに町が破壊されてきました。津波が多い場所だったからこそ、堤防を2重につくり、避難訓練を毎年実施し、世界でも有数の津波を防御するための街づくりをしてきました。多分、それは、三陸沿岸の地域みなそうだったと思います。それを破って、あんな大きな津波が来て、街を破壊したことに、たまらなく無力感に襲われます。天災に人間は勝てないのかと。
途方にくれる暗いニュースの中、良いニュースもありました!日頃の訓練で、子どもたちはほぼ100%助かったのです。津波に負けてない事例もあったのです!

岩手県釜石市で、市内の小中学校全14校の児童・生徒約3000人の避難率が100%に近く、ほぼ全員が無事 - 産経新聞

歴史は繰り返してきました。1896年の明治の津波の時だけから数えても、5回目の町の作り直しです。もう、こんなことはごめんです。戦争の後のような故郷を見ないために、子どもに安心して未来を託せるように、同じことがおきないために、今これから何をすればいいのか、考え、力を合わせていけたらと思います。
そのためにも、テレビでなんども放映され、ここに貼るのをためらわれた、釜石のあの津波のきている場所のその後を、YouTubeで見つけたので、貼らせていただきます。
亡くなられた方のご冥福をおいのります。
津波との戦いに、こんどこそ、終止符が打てますように。

明治三陸地震
昭和三陸地震
チリ地震津波の時の釜石
釜石港湾口防波堤