江青日誌

夢は野山を駆け巡る

魚市場に打ち上げられた船


父がおくってくれましたのでアップします。震災前から風邪を引いていたため、怪しい形相ですみません。
釜石の同窓会情報では、瓦礫の撤去と海や道の整備まで避難されている方の生活の保護で、国の予算はおしまいだろうとのこと。つまり、インフラ整備までで、それ以降の復興は各々に任されることになるだろうという説です。これだけ被害をうけている地域が多いので、国の懐をかんがえるとそうかもしれません。
同じぐらい年の男性陣は、みな消防班となり遺体捜索を続けているとのこと、とにかく出てきて欲しいという思いだそうです。厳しい状況の中、本当に頭が下がります。
私は、現地で希望をつないでいる人も知ってます。又あそこで商売をやろうとしている人達も知ってます。どんな時でも、釜石に希望がある限り、私は釜石を思い、釜石に東京でできることをやり続けるのみです。多分それは、釜石を故郷に持つ人達が、今思っていることではないでしょうか?たとえ、今回のことで、町が全然変わってしまったとしても、両親が亡くなってしまったとしても、釜石を捨てることは、私にはできないと、今回のことで思いました。
まずは、釜石シーウェイブスの国立競技場の試合で「かーまいし」「かーまいし」のコールを、みんなで大声でできる日が早く来ますように!その日を楽しみに待ってます!