江青日誌

夢は野山を駆け巡る

「黒い屍体と赤い屍体」〜立花隆と画家・香月泰男

凍りの掌KANO 1931海の向こうの甲子園戦争が遺したものシベリア鎮魂歌 香月泰男の世界
昨日、何の気なしに、テレビを見ていたら、NHK EテレETV特集立花隆 次世代へのメッセージ〜わが原点の広島・長崎から〜」(2015/02/14放送の再放送)をやっていました。動画。ぐぐったところ、エムズの片割れさんによる完璧なまとめがありましたので、引用させていただきます。

この番組の中で、香月泰男の作品「一九四五」について、ナレーターはこう言う。
「・・・描かれているのは、中国からシベリヤへ向かう鉄道の線路脇にうち捨てられていた日 本人の屍体です。生皮を剥がれ、筋肉を示す赤いスジが全身に走った赤い屍体。教科書の解剖図の人体、そのままの姿だった。憎悪に駆られた中国人に殺されたに違いないと、香月は述べています。」
そして立花隆は言う。
「日本人は、すごく悪い加害者的な行為を中国人に対してしてきたので、戦争が終わった途端に(中国人が)手近な日本人をつかまえて生皮を剥いだりしたという、歴史的事実があった。香月さんは車窓から見たその屍体を「赤い屍体」と名付けて、日本人が加害者だったということをみんなが忘れてしまっていることが、香月さんの絵をずっと描かせ続けたひとつの動機ではないか」

香月泰男立花隆)著「私のシベリヤ」より
「日本に帰ってきてから、広島の原爆で真黒焦げになって転がっている屍体の写真を見た。黒い屍体によって日本人は戦争の被害者意識を持つことができた。みんなが口をそろえて、ノーモア・ヒロシマを叫んだ。まるで原爆以外の戦争はなかったみたいだと私は思った。私には、まだどうもよくわからない。あの赤い屍体についてどう語ればいいのだろう。赤い屍体の責任は誰がどうとればよいのか。再び赤い屍体を生み出さないためにはどうすればよいのか。
だが少なくともこれだけのことはいえる。戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、黒い屍体からではなく、赤い屍体から生まれ出なければならない。」

そして立花隆は、
「この問題提起というのは、どうも日本人というのはあの戦争が終わった後、あの戦争の話というと、日本中に黒い屍体が転がっている話ばかりして、ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキというスローガンをただどなっていれば平和がくる、という感じでいるが、それはちょっと違うのではないか」
と指摘している。

実は、私は自分の歴史観に自信がなく、日本軍が戦争をした地帯にはほとんど旅行に行っていないチキンな奴です。それでも、恩義のある方に乞われて、パールハーバーにどうしても連れて行ってほしいと頼まれ同行したことはありますし、沖縄の友人の結婚式に出席するため初めて沖縄に行った時には、新郎から是非見てほしいと言われ、沖縄戦地跡を訪れました。でも、まだ、原爆ドームを見たこともありませんし、長崎の爆心地も訪れたことがありません。もちろん、中国本土に自分の気持ちが中途半端のままいくのも違う気がして、出張で訪れた上海以外行ったことがないチキンっぷりです。

このテレビを見て、侵略した国が被害者側の報道をずっと見続けている国の矛盾を差し出された面持ちでしたまさに、私がチキンである理由は、ここにあるわけです。もちろん、日本の中で起こったことを正しく理解し、後世に伝える責任は国民としてあると同時に、自国がやったこと史実を知ることすら、政治や感情論の中に埋没し、なかなか今の日本で自分なりの歴史観を作ることが難しい状況にあると思っています。この番組は、その矛盾にストレートに賽を投げるものでした。
香月さんが語り、立花さんが筆記したという『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』は絶版、アマゾンのUSDで6800円でした。「黒い死体と赤い死体」の文章が読みたいです。願わくは、買いたい時に買えるように電書も出して欲しい。在庫や絶版の心配をしないですむようにしてほしい。ちなみに、このテレビを見た後、鶴見 俊輔著『戦争が遺したもの』を読みたくてアマゾンを見たら、在庫切れ。電書なし。電書化するのは権利の調整が大変だとは想うのですが、戦後70年に、出版業界は大事なことを伝える努力をしているのか?と少し悲しくなりました。余談の続きですが、『凍りの手 シベリア抑留記』Kindleで3巻まで無料。自分も戦時中台湾の高校が甲子園で2位になった歴史野球漫『KANO 1931 海の向こうの甲子園』を沢山の人に目に触れる努力もっと読んでもらえるようになぜしなかったのか、悔いました。次は後悔しないようにする。絶対する!
6月に訪れたドイツは、自分たちのやった過ちを忘れない工夫が街の中にデザインされていました。ぜひ、立花隆さんには、もう一仕事!我々に「赤い死体と黒い死体」の意味を考え続けさせる仕事をしていただきたいです。そして、それを読みながら、右でも左でもない、新たな歴史観が日本に醸成され、我々のUIが変わることで、他国との関係も変わっていくことを願ってやみません